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緑のそよ風


4月の下旬、宮崎県東臼杵郡諸塚村七ツ山 在住の甲斐信子さんから
「椎茸栽培原木用に切って使わなくなった
クヌギがあるので取りに来ませんか」
と嬉しいお便りがあ
りました。
私のピザ窯は年中薪を使いますし、
クヌギは火力も強く長持ちします。
私にとって、冬の薪ストーブ用としても
クヌギは最良の薪です。
二時間程で甲斐さんちへ着きました。
久しぶりの再会ですが、身内に会ったような安心感です。
九州山脈への想い

昭和33年、私は高校山岳部の一年生。
が春の選抜甲子園大会で優勝した年です。
この年の夏、九州山脈を4泊5日で縦走しました。
1年生2人、3年生1人、先輩1名の精鋭部隊です。

8月2日、熊延バスに乗って旧矢部町の津留越で下車。
内大臣川沿いの林道を歩き、国見岳山麓の
内大臣川の河原で一泊。
翌日、2日目は小雨の中を内大臣峡をサルスベリの
ような急坂をブヨとアブの大群に襲われ、
肩に食い込むキスリングの重さよりも、
顔にまつわるアブやブヨをタオルで
払うのが夢中で疲れも忘れる強行軍でした。
小休止で、
膨れ上がったお互いの顔を見つめて大笑い。

その日のうちに、九州山脈最高峰の国見岳(1739m)
五勇山(1662m)を踏破し、一度宮崎県側の椎葉村
尾手納に下り、縁あって民家(甲斐勇太郎さん)に
泊めていただきました。


大きな屋敷は、小屋組がデッカい材木で
組み合わされ、屋根は
寄棟造りの茅葺き。
昔、こんな山奥で人の非力な力で建てられたとは想像を絶します。
椎葉村の重要文化財
「鶴富屋敷」と同じ
造りです。
「鶴富屋敷」

翌日、再び山脈を椎葉越えで熊本県泉村五家荘へ。
ここで一泊。次の日は
市房山(1722)をめざします。

泉村の古屋敷からバスで水上村の湯山へ。
その日は麓の「鎮守の杜」の境内にテントを張り、
翌朝晴天の市房山に登頂、サルスベリの大木には
目を見張りました。下山後、近くの田んぼの中の温泉
露天風呂に入り、村人との楽しい会話です。
身体は洗ってもシャツは4日間の汗まみれのまま。
帰りの満員の汽車や電車内では、さぞ皆さんに
迷惑を掛けた事でしょう。

五日間の九州山脈縦走は、山脈を眺める度に、
楽しかった微かな記憶が鮮明に蘇ってきます。

甲斐さんちは農家民宿をされています。
諸塚のありのままの暮らしの中で皆様をお迎えします。
連休前に済ませようと3トンダンプを知人から借りて
早速出かける事にしました。諸塚村は初めてですので、
道のりを地図で調べたり、高千穂の知人に尋ねたり
してコースを決めました。新緑の山岳ドライブは久しぶり
です。家内も連れて行く事にしました。

出る前に甲斐さんに電話をし、五ヶ瀬町から「飯干峠」
を越える事にします。一本車線です。峠付近に風車を
建設中ですので、ダンプに注意して下さいとの事でした。
しかしダンプ同士無線で対向車の有無を連絡しあって
いるようで、離合地点で止まって待ってくれていました。
峠を越える下りにさしかかりますが、静かな山道です。

十数年ぶりに九州山脈を走りましたが、山並が気になり
脇見運転に、家内がビビって
安全運転の激が飛びます。
諸塚村は山に囲まれた村で、林業と椎茸栽培が盛んです。
さすがに林道はよく整備されています。

林道密度は日本一。脇道が多く良く調べて行かないと
とんでもない所に迷い込みそうです。

信子さんの窯を拝見しました。私の窯は一層式で、
暖めた窯の中の薪を奥に押し込んで、全面の空間で
ピザを焼きますが、信子さんのは二層式で二段になっ
た下の窯に火を入れて、上の窯の奥から炎を取り入れ
窯内を暖めます。
どちらがいいかは一長一短でしょう。
一枚板のカウンターがいいアクセントでした。
前の空き地にもう一つ窯を造って
パン教室の棟を建てるそうです。
「飯干峠」から諸塚への下り
山脈を越えると諸塚村
へ入ります。
石灰岩の岩峰が
そそり立っていました。
鍾乳洞も発見されて
いるそうです。
甲斐さんちの地区は五世帯です。南東に七ツ山、
南西に黒岳、緩い南斜面に位置します。

こんな所で食べる御飯はとても美味しい。
何故なら美味しい空気も一緒に食べるから。


南阿蘇村から諸塚村へのアクセス

高森町より南外輪山の高森トンネルを抜けて
そのまま国道265号線を南下すると
山都町方面から来た国道218号線の
馬見原町に出ます(高森町から約30分)。
218号線を宮崎県
五ヶ瀬町へ左折して
A:Bコースがあります。

 Aコース:五ヶ瀬町役場の先から国道503号線へ
     飯干峠方面へ右折峠を越えて下ると
     そのまま諸塚村へ
 Bコース:五ヶ瀬町の手前馬見原町の
     馬見原小学校の先から右折
     国道265号線を椎葉方面へ
     20分程で長い「国見トンネル」へ
     トンネルを抜けてすぐ財木方面へ左折
     小原井峠を越えて下ると
     そのまま40分ほどで諸塚村へ

薪を積みに
12月の九州山脈
家の前には奥の黒岳からの湧水が垂れ流しです。
美味しい我が家の水と同じ味です。
夏はいつもキュウリやトマトやスイカ等が
冷やしてある事でしょう

丸太を扱うのに欠かせない小道具「鳶口」です。
鳶のくちばしに似ているのでこの名が付きました。

上のトビ口は先端がわずかに内側へ曲がっていますので、
丸太に打ち込むとここにかかって外れにくくなります。
下は曲がりがありません。

鳶口の存在は知っていたのですが、甲斐さんが鳶口を使って丸太を整理されるのを側で見て、こんなに便利なものかと
初めて知りました。身体にも負担がかかりません。

早速、森林組合に行って購入しました。(6,800円)
今では薪割り作業には欠かせないアイテムになりました。

「鳶口」

帰りのコースは甲斐さんに道順をよく聞きました。
「小原井峠」を越えてく国道265号線「国見トンネル」に降りることにします。帰りは重いクヌギを
積んでいますので、ゆっくり走りました。

二時間ほどで積み込み完了。これから峠を越えて帰ります。20 本程残りました。

鳶口はかけそこなうと外れて後ろにひっくり返ります。家内(与作子)も頑張りましたがあまり力は入っていません。
使い慣れない私は3回ひっくり返りました。トラックから落ちて怪我をした人も居るそうです。
甲斐さんはドッコイショで持ち上げますが、私は転がして積みました。クヌギは重いです。
薪が置いてある場所は、林道を5分程上がった所です。椎茸栽培用ですので無節の割りやすい薪です。
早速薪の積み込みにかかりました。半分に玉切りしてトラックに積みます。
甲斐さんは慣れた手付きで上手に積まれます。

 次の日は「小原井峠」経由で。

翌日早朝6時に一人で出発。昨日帰りに通った「小原井峠」経由で62kmの道のりです。
約一時間40分で現場に到着しました。甲斐さんちはすぐ下です。
「まだ家の側に軽トラック一台分はあるので、積んだら家に寄ってください」と連絡があっていました。
霧雨の中、2m程の原木を抱え上げるのに楽なように、3等分に切り、2時間がかりで積み込みました。

積み終わって甲斐さんちに寄りました。軽トラック満杯のクヌギをトラックに移しました。
お茶をいただいて、12時ちょうど帰路につきました。クヌギは昨日よりも多そうです。

途中昼食を食べて、2時10分頃帰り着きました。
2回分の薪です。一年分はありそうです。
トカゲを心配しましたが、薪の間から
無事に降りて去って行くのを確認しました。
私の場合は半端な量ではありませんので、
時間がある時に30〜40cm程に輪切りにして、
薪割り機でバリバリ割ります。梅雨入りまでには割ってしまいます。
昔は 汗を流しながら斧で割っていましたが、
それも楽しみの一つでした。
しかし年甲斐もなく長く続けると
必ず肩を痛めます。
今では

「小原井峠」へ
前を走るのんびりした鹿の親子に往復とも出会いました。白いお尻をふりながら、
急な崖を難なく登って行きました。一回では積めませんでしたので二回に分けました。

「小原井〜財木 広域基幹林道 (約23km)」です。
トカゲが薪と一緒に乗っていました。
南阿蘇に行きたいらしいので連れて帰る
ことにしました。

勝男さん信子さん有り難うございました。
今度は泊で伺います。その時は勝男さんと
シイタケ寿司でも食べながら飲みたいです。
不要なクヌギの原木がありましたら、
またご連絡下さい。よろしくお願いします。

              (2015.4.27)